こんにちは。そらまめです。
『廃線跡』と聞くと、地方のローカル線というイメージがあるかもしれませんが、
実は都心にも廃線跡はあるんです。
今日はそんな都心の廃線跡の1つ、豊洲に残る晴海線の晴海橋梁のお話です。
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晴海線の晴海橋梁
晴海線の晴海橋梁は、ららぽーと豊洲に近い場所にあります。
豊洲から歩くと10分ちょっとくらいで着きます。
大きな橋があり、そこは車も人も通行可能な都道304号ですが、その橋と並行するようにかかっているのが晴海橋梁です。
この写真の手前が廃線跡の晴海橋梁、奥が都道の春海橋(はるみの字が違うんですね)。
こうやって見ると普通に電車が走る線路のように見えますが、ちゃんとした廃線です。
今はこの橋梁とその部分のみレールが残っているだけ、前後のレールは撤去されています。
廃線だけど、もちろん線路内に入ることはできません。
廃線跡と言えば、そらまめは奥多摩の廃線跡についても書いてますので、こちらもどうぞ↓
奥多摩の廃線へ!紅葉も綺麗な奥多摩日帰り旅行2018~奥多摩廃線跡編~
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晴海線とは
この廃線跡は何かというと、旧晴海線の線路。
晴海線とは、かつてあった東京都港湾局の専用線の1つで、他にも深川線・芝浦線・日の出線などがありました。
どれも今はもうない線ですね。
貨物用の晴海線
現在の東京メトロ東西線東陽町駅の南に行ったところに、越中島貨物駅があるのですが
その貨物駅から豊洲に伸びる形で開業したのが深川線(昭和28年)。
深川線から分岐して、晴海橋梁を含む晴海埠頭まで走る路線が晴海線として昭和32年に開業しました。
東陽町なのに越中島?貨物駅??と思う方もいるかもしれませんが、この越中島貨物駅については別記事で書いていく予定です。
この晴海線は、東京湾にあった工場や荷揚げされる工業用品や資材などを運搬する用に使われていました。
当時は大活躍だったのでしょう。
しかし、トラック輸送の転換などにより、輸送量が減り、これら貨物線は順次廃止が進み
平成元年2月をもって港湾局専用線は全て廃止となりました。
その他の跡地
現在では工場跡地も含め、線路の多くは再開発され、晴海橋梁以外は見る影もありません。
他は線路の一部分がわずかに残っていたり、
駐車場になった線路跡が航空写真で見るとわかる程度です。
線路跡地
この黄色い線を引いたのが、道路や駐車場になった元線路のルートです。
上の写真だと見切れていますが、右側の運河には橋梁の橋脚だけが残っているので、
ここに昔は豊洲運河にかかる橋があったことがわかります。
(これも越中島貨物駅の記事で書く予定です)
分岐点跡地
あとはこちら。
なんとなく線路の跡のようなものがありますね。
これは晴海線・深川線の分岐点跡地。
でもこの数mのレール跡のようなものだけで、説明書きも何もありません・・
場所は駅から歩いて10分くらいのところにあります。
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晴海橋梁付近の写真
せっかく行ったので、晴海橋梁以外にも付近の写真を撮ってきました。
タワマン×廃線跡。
地方のローカル線どころか超都会と廃線跡の共存です。
草がわさわさ生えてる晴海橋梁。廃線感あります。
晴海橋梁とタワマン。
春海橋(晴海橋梁の隣の橋)から見たスカイツリー
再びタワマンと晴海橋梁。(GoPro結構明るく撮れるなあ)
豊洲の駅付近には、昔造船所等があったからか、船や歯車をモチーフにしたアート作品やモニュメントがたくさん置いてありました。
今回の晴海橋梁とは関係ないので別記事でまとめようと思いますが、豊洲はタワーマンションが立ち並ぶ人気の湾岸エリア。
どこもお洒落で綺麗な街でしたよ。
おわりに
廃線跡というと地方のイメージでしたが、実は都内、それもタワマンが立ち並ぶお洒落エリアにもあったんですね。
再開発で撤去されてしまった部分が多いけれど、しっかりと当時の姿のまま残されている晴海橋梁。
何故晴海橋梁だけ残されているのか理由は書いてありませんでしたが、どんな理由であれ廃線の一部が残されているというのは、鉄道ファンにとっては嬉しいことです。
ただ、この晴海橋梁もいつまで保存されているかわからないので、気になる人は早めに見に行った方がいいかもしれませんね。
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