上野から成田へ!京成線110年の歴史と各路線の特徴。成田スカイアクセスと本線の違いとは

こんにちは。そらまめです。

2019年に創立110周年を迎えた京成電鉄。

京成電鉄の京成線とは、東京の上野と千葉の成田を結ぶ鉄道路線で、

成田空港に行く時に使う人も多いと思います。

2019年10月には16年ぶりの新型車両も導入され、何かと話題が多かった京成電鉄(京成線)。

その歴史や概要、現役車両の写真等を2回に分けて紹介します。


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京成線の路線

京成線(罫線電鉄)の路線は以下7路線

  • 本線:京成上野駅~成田空港駅
  • 東成田線:京成成田駅~東成田駅
  • 押上線:押上駅~青砥駅
  • 金町線:京成高砂駅~京成金町駅
  • 千葉線:京成津田沼駅~千葉中央駅
  • 千原線:千葉中央駅~ちはら台駅
  • 成田空港線(成田スカイアクセス):京成高砂駅~成田空港駅 [北総線経由]

参考:京成電鉄公式サイト

 

上の路線図だけを見るとわかりにくいですが、

京成線の7路線と、乗り入れ路線として都営浅草線と京急、新京成等が表記されています。

 

メインは本線の京成上野~成田空港で、その間の各駅から枝分かれして短い路線が出ています。

本線

京成上野から成田空港を結ぶメイン路線。

京成上野から成田空港までは約70kmもあるので、全駅に停まる普通電車に乗ると90分以上かかります。

モーニングライナーとイブニングライナーという名称で、本線経由のスカイライナーも運行されています。

東成田線

京成線の路線の中で最も短いのが東成田線。

京成成田と東成田の2駅しかありません。

東成田駅からは柴山鉄道線に直通していますが、柴山鉄道線は東成田~芝山千代田の区間しかない為、

日本一短い鉄道と呼ばれています。

押上線

押上から青砥までの区間の京成路線。

押上線は都営浅草線、京急と乗り入れをしていていて、

★続きかく★


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金町線

金町線は、京成高砂・柴又・京成金町の3駅しかない短い路線です。

ちなみに柴又といえば、「男はつらいよ」や柴又帝釈天で有名な場所ですね。

駅前に寅さんの銅像もありますよ。

千葉線

京成津田沼~千葉中央までを京成千葉線と呼びます。

路線図で見ると、京成津田沼~ちはら台と1路線のように見えますが、

千葉中央を境に千葉線と千原線で路線が変わります。

千葉線は新京成と直通運転している区間でもあります。

千原線

千葉線から先、新京成と直通運転をしていない区間の路線を千原線といいます。

千葉中央~ちはら台まで。

と言っても、千葉中央とちはら台の間を行ったり来たりするのではなく、基本的には千葉線との直通運転です。

成田空港線(成田スカイアクセス)

成田空港線(成田スカイアクセス)は本線と同様に、どちらも京成上野~成田空港を結ぶ線ですが、

成田空港線の方は北総線経由の路線なので、本線とは所要時間と距離が異なります。

新型車両3100形が走っているのも、主にこの成田空港線。

特急スカイライナーが走っているのも、この成田空港線のみです。


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京成電鉄の歴史

現在7路線の京成線を持つ京成電鉄は、2019年に創立110周年を迎えました。

駅や電車内に「京成110周年のあゆみ」のポスター等が掲示されていたので

その写真と一緒に、110年の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

参考:京成電鉄110年のあゆみ(リンク切れ)

創業期(1909~)

1909年6月30日、東京から成田までの鉄道敷設の為

現在の京成電鉄の前身である「京成電気軌道株式会社」が設立されました。

 

1912年、最初の路線として押上~市川(現:江戸川)、曲金(現:京成高砂)~柴又が開通。

以降続々と駅が作られ線路が延伸され、1916年までには押上~現:京成高砂、押上~船橋間が開通。

1909創業期のポスター、ちゃんと撮れたのがなかった・・・

 

東京から千葉方面へ行くには、間にある江戸川を渡る必要があります。

今でこそ江戸川にかかる大きな橋はたくさんありますが、当時はこの江戸川越えが鉄道敷設のネックだったようですね。

ですが1914年に江戸川橋梁が出来たことにより、東京から千葉(船橋)方面への線路が延ばせるようになり、成田へ向けて進んでいけるようになったのです。

拡充期(1921~)

続々と千葉方面へ線路を延伸。

この時期は、現在は廃止されている区間や駅も開業開通が相次ぎました。

 

1931年には千葉方面だけでなく、日暮里~青砥、1933年には上野公園~日暮里が開業し、

「上野から成田へ」の上野駅がようやくここで繋がりました。

1945年には会社名が「京成電鉄株式会社」に変更され、現在も変わらず「京成電鉄」として営業しています。

復興期(1952~)

戦後の混乱が落ち着いてきた頃、特急「開運号」が登場しました。

この開運号は後のスカイライナーとなる特急で、1952~1973年まで運行されていました。

現在は特急「開運号」は走っていませんが、年末年始の臨時ダイヤで走るスカイライナー(参詣列車)は「成田山開運号」という愛称で呼ばれており、

「開運号」という名前はここに残されています。

スカイライナーAE形


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発展期(1960~)

押上の地下駅の営業が始まり、日本初の郊外電車と地下鉄の相互乗り入れとなる

都営地下鉄(浅草線)と京成電鉄との直通乗り入れが開始されたのです。

最初の乗り入れ区間は押上~浅草橋間。

現在の都営浅草線5300形

 

その後1968年には、京浜急行とも直通運転が始まり、

京成・都営地下鉄・京急の3社相互直通乗り入れが行われるようになりました。

現在の京急600形

 

2018年には相互直通50周年を記念したキャンペーンも行われていましたね。

今では複数の鉄道会社が直通するのは当たり前のように思えますが、当時の人にしてみれば

なんて便利!という感じだったのでしょうか。

先日のJRと相鉄の直通開始の時のように盛り上がったりしたのかな・・

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展開期(1978~)

1978年5月20日に日本の玄関口、成田空港が開港。

イメージ写真(これは羽田空港)

 

それに合わせて京成の空港新線と成田空港駅(現:東成田駅)が開業しました(1978年5月21日)

成田空港の鉄道駅としてはどこよりも早く開業した路線・駅ではありますが、

空港ターミナルへの乗り入れではなく、当時のターミナルからは少し離れた位置にあった為

多少不便さはあったようです。

 

この時期は駅名の変更や、新型車両の導入、複々線化、車両カラーが全てファイアーオレンジに変更・統一されるなど

京成が進化していた時期であるとも言えます。




推進期(1990~)

1991年になると、念願の成田空港ターミナルへの直接乗り入れが開始!

90年代に入ってからなので、空港乗り入れは割と最近の話なんですね。

北総線との相互乗り入れもこの年に開始されます。

北総線の7500形車両

 

1998年には、ついに成田空港~羽田空港の直通運転が開始!!

成田空港と羽田空港を1本で結ぶ路線はここしかないので、今でもとても重要な路線です。

 

そして、昨年一般公開されたことも記憶に新しい博物館動物園駅@上野。

この駅が廃止となったのが2004年。

そらまめも朝早くに並んで、博物館動物園駅を見に行ってきましたが

15年も前に廃止された駅は哀愁漂う感じがして、感慨深いものがありました。

(駅が現役の時は使ったことなかったけど・・)

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躍動期(2010~)

そしてこの直近10年。

北総線経由をする成田空港線(成田スカイアクセス)が開業し、

京成本線よりもずっと早く上野~成田空港を結ぶ路線が誕生したのです。

おわりに

2019年に110周年を迎えた京成電鉄。

そらまめはあまり頻繁に京成線には乗らないのですが、新型車両も導入されたし、

最近だと京成スカイライナーのCMも(そらまめの中で)話題になったしで

今後もますます目が離せない鉄道の1つだと思っています。

今回は歴史と各路線についてを書きましたが、次回は京成の車両・スカイライナーについてを、写真と共にお届けします!


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