こんにちは。そらまめです。
日本の鉄道発祥の地巡りとして、新橋と横浜桜木町に行ってきたので、
【新橋編】【横浜編】の2回に分けてお届けします。
日本初の鉄道
日本初の鉄道は、新橋~横浜(現桜木町)にできたということは皆知っていると思います。
学校の歴史の授業で習いますよね。
明治5年に新橋~横浜間の約29kmを結ぶ鉄道が開通し、機関車が走り始めました。
鉄道建設にあたっては、資金や技術、機関車そのもの、客車、線路や枕木に至ってまでがイギリスから輸入され、開通当初の機関士は外国人が担っていました。
新橋~横浜の開通を皮切りに、
2年後に神戸~大阪間、3年後には大阪~京都間で鉄道が開通し、
その後全国各地で鉄道が作られていきました。
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現在の新橋駅
現在の新橋駅の前には、ニュースなどでも同じみのSL広場がありますよね。
その名の通り1台のSLが置かれていますが、このSLこそが鉄道発祥地の象徴なのです。
駅反対側の東口には、鉄道唱歌の碑があります。
SL広場にあるSL。ニュースインタビューでおなじみの場所。
鉄道唱歌の碑。上には小さいSL模型が乗っています。
鉄道開通85周年記念日に建立された碑です。
隣には実際に走っていたD51機関車の動輪が展示されています。
全国各地で主に貨物用として活躍した機関車で、デゴイチという愛称で親しまれていました。
旧新橋停車場(汐留駅)
新橋駅は昔から今の新橋駅の位置にあったのではありません。
今の新橋駅から少し離れたところに旧新橋停車場がありました。
明治5年に開業した旧新橋停車場。アメリカ人R・P・ブリジェンス設計の木骨石張り構造で、当時ではまだ珍しかった西洋建築でした。
現在の新橋駅には何があったかというと、烏森駅という名前の駅がありました。
烏森駅はレンガ積みによるアーチの高架橋だったようです。
大正3年に東京駅にターミナル機能が移り、烏森駅は新橋へと名前が変わり現在の新橋駅となりました。
烏森駅が新橋になったことで、それまでの新橋停車場は貨物専用駅となり、名前も汐留駅と改称されました。
その後新橋停車場(汐留駅)は関東大震災で焼失。後の改良工事で残存していた駅のその他施設も解体され、昭和61年には新橋停車場(汐留駅)は廃止となりました。
平成7年から周辺跡地は再開発され、現在の綺麗な汐留となったのです。
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旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場とは
新橋駅SL広場とは反対側、銀座口より徒歩5分ほどのところに「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」があります。
この場所が最初の新橋駅(新橋停車場)だった場所です。
外観は当時の駅舎が再現されており、内部は小規模ですが鉄道資料展示室となっています。
室内からは、当時の駅舎基礎石積みを見学することができ、また発掘調査時に出土した陶磁器や工具の展示もされています。
残念ながら展示室内の写真撮影はNGでした。
開館時間 10:00~17:00
入場料 無料
休館日 月曜日 ※詳細は公式サイトでご確認ください
再現されたプラットホーム・0哩標識・線路
建物の裏側にまわると、再現された0哩(ゼロマイル)標識と線路、プラットホームを見ることができます。
再現されたプラットフォームだけでなく、当時のプラットホームの遺構もあります。
0哩(ゼロマイル)標識。ここが推量の起点であることを表す印です。
「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の指定史跡に認定されています。
プラットホーム。イルミネーション期間中なのでライトが置かれていました。
創業時の線路
こんな感じで線路は一部しかありません。
一段低いところにある、当時のプラットホームの遺構。
実際に触れることは出来ない位置にあります。
このプラットホームは「盛土式石積」という構造で作られています。
おわりに
日本で初めての鉄道の起点である新橋。
ここから日本の鉄道が始まったと思うと感慨深いですね。
目立つ施設ではありませんが、当時の面影をしっかりと残した建物や遺構は見る価値ありです。
周辺も綺麗なエリアなので、お買い物や食事のついでに行ってみてはどうでしょうか。
新橋~横浜間の終点、横浜桜木町の鉄道発祥の地巡りについてはこちらをどうぞ↓
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